menu

メディア掲載記事

徳島新聞「パゴダに誓う 平和の尊さ伝え50年」全5回

2008年10月06日 更新

第5回 悲惨な最期に胸熱く 記憶継承へ守る会結成

2008年10月6日徳島新聞より

「戦争を知らない世代は、ほとんどがパゴダが建てられた意味を知らないのでは。かつて私がそうだったように」。 徳島市の眉山山頂の平和記念塔パゴダを修復している「平和記念塔パゴダを守る会」代表の藤田善史さん(54)=徳島市佐古6番町、眼科医=はこう切り出した。

藤田さんは、1999年からミャンマー(旧ビルマ)で眼科医療の普及にボランティアで取り組んでいる。 これまでにヤンゴン、マンダレーの街を計18回訪れた。街中には至る所にパゴダがあり、金色に輝く大小さまざまな仏塔の美しさにひかれた。

文献読みあさる

眉山にパゴダがあることは知っていた。好奇心もあって昨年4月に初めて立ち寄った際に、太平洋戦争のビルマ戦線で亡くなった将兵らの慰霊塔であることを知った。

それから戦線に関する文献を読みあさり、多くの県人将兵が悲惨な最期を遂げたことが分かり、戦争の無情さに涙した。

「パゴダには若くして散った兵士の魂を含め、遺族らの平和を願う気持ちが詰まっているんだ」と胸を熱くした。

ビルマから無事生還した元将兵も80代以上となり、生存者は少なくなった。当時を知る戦争体験者は姿を消しつつある。 「いま何とかしないと、戦争の記憶は完全に風化してしまう」と、老朽化が激しいパゴダの修復と保存継承していくことを決心した。

すぐさま行動を起こした。仲間数人と守る会を結成したのは、パゴダを慰霊した1ヶ月後の5月。修復には214人と12団体から約1100万円(08年8月末現在) もの浄財が集まり、「涙がでるほどうれしかった」と感謝する。

パゴダ内に展示していた遺品や資料は、湿気にやられて保存状態が悪かった。将兵が使った水筒や飯ごう、出征の際に寄せられた千人針、寄せ書きされた日の丸の旗・・・。県内とビルマとのかかわりを知る貴重なものばかりだ。

守る会のメンバーの1人、県立博物館専門学芸員の長谷川賢二さんは「戦争の現実を若い世代に伝えていくためにも重要な場所。 適切な展示方法を考え、平和記念塔としての役割を十分に果たせるようにしたい」と決意を語る。

最善の方策悩む

平和のシンボルであるパゴダを、いかに受け継いでいくか。守る会とパゴダを維持管理する県仏教会は、 パゴダの存在をより多くの人に理解してもらう最善の方策に頭を悩ませている。

これまで、日曜日しか開館していなかったパゴダを、週3回以上はオープンさせたい考え。遠足に来た小中学生らに、戦争の悲惨さや歴史を伝え、 平和の重みを感じてもらうためだ。しかし、大幅な経費増は避けられず、実現への道のりは厳しい。

一歩ずつ、ゆっくりと県民全員に愛されるパゴダにしていきたい」。恒久平和への願いを胸に秘め、藤田さんはパゴダに誓うように語った。(担当:社会部・笠井理)

第1回から第4回までの記事(PDF形式)はこちら

第1回(1.9MB)

第2回(2.8MB)

第3回(2.7MB)

第4回(2.9MB)