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メディア掲載記事

産経新聞「藤田善史医学博士 × 杉田達医学博士」掲載記事紹介

2005年07月29日 更新

2005年7月24日産経新聞より

7月24日の「産経新聞」企画特集で、杉田眼科(東京都葛飾区)の杉田達院長と当院院長 藤田善史による、海外での医療活動についての対談記事が掲載されました。 「眼科医療の現状」、「アジアの医療」、そして「日本の財産に」といった内容でおこなわれた対談の内容をご紹介します。

現代社会を背景に、近年、目の病気に悩む人は多い。目の健康と海外での医療活動について、2人の眼科医に話し合ってもらった。 藤田眼科(徳島市)の藤田善史院長と杉田眼科(東京都葛飾区)の杉田達院長。 ともに月約200の手術件数を誇るエキスパートだ。 それぞれ、ミャンマーと中国で医療支援活動も展開している。「医療は最高の海外奉仕」と言う。国内外の眼科医療に光を当てよう。

眼科医療の現状

藤田 杉田先生と知り合って、もう十年以上になるでしょうか。 先生の白内障の日帰り手術を見学させてもらったのが最初の出会いです。 今日は海外での医療活動がテーマだそうですが、それを理解してもらうために、まず国内の眼科医療の現状についてお話しましょう。

杉田 藤田先生がこられたのは1993年だったと思います。 あのころは日帰りの白内障手術をしているところはほとんどありませんでしたが、今は多くなりましたね。 私のところでは、毎月百件の白内障手術をしています。 藤田先生はもっと多くの件数をこなしておられる。 世界でもトップクラスですね。

藤田 今、日本で年間約90万人が白内障の手術を受けています。 加齢とともに水晶体が濁って光が入らなくなり、ものが白っぽくかすんで見えるのが白内障。 手術は角膜に約3ミリの切開をおこない、濁った水晶体を砕いて吸い出します。 私は月に200人ぐらいの方の白内障手術をしていますが、手術は短時間で正確にできるようになりました。 糖尿病網膜症も、最近は大きな問題になっていますね。

杉田 糖尿病で網膜にある血管が痛んでくると出血が起きたり、網膜の手前にある硝子体という透明な寒天状の物質が、網膜を引っ張って網膜剥離を起こしたりするのが、糖尿病網膜症です。 このような方に対して硝子体を切除し、レーザーによる光凝固をおこなって、網膜をなるべく元に戻すのが硝子体手術です。 以前は糖尿病網膜症で失明する人が多くいましたけど、今はかなりの確率で治ります。 さらに緑内障も気をつけなければならない疾患です。 以前は眼圧が高くなり、そのために目の中の神経が萎縮して視野が狭くなる病気といわれていましたが、最近は眼圧が高くない緑内障の方が多いことがわかってきました。 点眼薬で眼圧を下げることが重要ですが、それでも視野が狭くなるようだと手術をしなければなりません。 日本の失明率の一番と二番が緑内障と糖尿病網膜症です。

藤田 白内障と緑内障は加齢が原因ですから、高齢者になってからの発症が多いけれど、糖尿病網膜症は不規則な食生活や運動不足などから引き起こされる現代病です。 四十歳を過ぎたら年に一度は必ず眼科のチェックを受けることが大事だと思います。

杉田 ところで、最近、近視矯正手術(レーシック)が増えてきてますよね。 私たちは早くから取り組み、今は2週間に1回ぐらいのペースで手術をしています。

藤田 私は1ケ月に10人ぐらいです。 目の構造は前から角膜、水晶体、網膜があって、ものを見るときは角膜と水晶体で屈折されて、角膜にピントが合うようになっているんです。 しかし、近視の方はこのピントが網膜の手前に合ってしまうんです。 きちんとピントを合わせるために、角膜の一部をレーザーで削って、近視や乱視を治そうというのがレーシックですね。 メガネなしの視力が0.1以下の方でも、翌日には裸眼で1.0以上に回復した例も多い。 手術は両眼で30分程度。 痛みもほとんどありません。 保険外診療になりますが、これからどんどん増えてゆくと思います。

アジアの医療

杉田 私が初めて中国へ行ったのは2000年ですけど、藤田先生がミャンマーへ行かれるようになったのは、いつごろからですか。

藤田 1999年の2月から、年に2回ほど行ってます。 5月と11月に約1週間程度。 一緒に手伝いをしてくれる眼科の先生のほかに看護婦、器機技師ら10人ぐらいのチームですね。 ミャンマーの人口は日本の半分ですが、眼科医は180人です。 日本の眼科医が1万4千人ということからすると、ミャンマーの眼科医は少ない。 首都ヤンゴンとマンダレーに大学病院があり、そこへ行って、現地の先生に白内障の手術を教えています。 ミャンマーでおこなわれていた手術は、日本では15年ぐらい前におこなわれていた古い方法でした。 そこで、さっき説明した小さな切開からできる新しい超音波白内障手術を教えているわけです。 杉田先生も中国で白内障手術を教えておられるんでしょう。

杉田 医師を育てようと思うんですが、中国の病院のシステムに問題があって、なかなかうまくいかない。 若い医師に手術を教えたいんですけど、年功序列が厳しくて、若い人はチャンスが少ないんです。 じゃ、日本にいらっしゃいということで、今年初めて1人日本へ呼んで2カ月間研修しました。 藤田先生も早くからミャンマーの医師を呼んでいますね。

藤田 3年前からミャンマーの若手医師を年に2人ずつ預かっています。 向こうへ行って「さあ、日本のやり方でやりましょう」と言っても、なかなか分かりにくいですよね。 日本の現状を見てもらった方がいい。 滞在期間は大体1ケ月。 来日する医師はミャンマー保健省に選んでもらって、旅費はNGOの日本ミャンマー交流協会にお願いし、徳島での生活は私どもで面倒をみています。

杉田 藤田先生がミャンマーの医療にかかわられるようになったのは、どういうことからですか。

藤田 ミャンマーから研修のために来日していた外科医が、たまたま私の白内障手術を見る機会があったんです。 見学して日本の手術とミャンマーの手術はえらく違うとびっくりした。 眼科は専門外だけど、外科医ですから手術のことはある程度わかるんですね。 見学後すぐに「ミャンマーへ来て手術を教えてくれないか」と言われ、「分かりました」と。 それがスタートです。

杉田 私は祖父が昔の満州国の大連にあった満州鉄道病院の医師だったので、ずっと見に行きたかったんです。 たまたま中国から留学している眼科の先生と知り合いまして、その方の紹介で行ったのが最初です。 行ってびっくりしたのは、日本より30年ぐらい遅れた医療レベルなんですよ。

日本の財産に

藤田 満鉄病院は戦前、東洋一の病院とも言われたらしいですね。 当時の建物が残っているんですか。

杉田 昔のまま。 今は瀋陽鉄路局大連病院というんですけどね、800床の大病院です。 ところが、建物も古いが、中でおこなわれている医療も古い。 その大病院がベッドのない私の医院と姉妹関係を結びたいと言いましてね。 中国は姉妹関係を結んで経済援助しろとか言ってくると聞いていたので、お金のやりとりは絶対にしないということで、提携したのが2002年です。 私、そこの正式職員になっているんですよ。 もちろんボランティアですが。 新しい機器も購入して、だんだん中身が整備され、今度鉄路局から離れて大連大学付属中山病院となりました。 藤田先生もよくお分かりだと思うけど、患者さんの感謝、それが一番うれしい。 言葉は分からなくても患者さんの笑顔を見ると、やりがいを感じます。

藤田 そうですね。 1週間の滞在中、1日に10人から15人の手術をして、それを20人ぐらいの医師が見学しているわけですけど、手術を受けた方が喜んでくれて、自分がそれをやったというのが充実感です。 ミャンマーの人たちは、ものすごく親日的です。 第二次世界大戦時、インパール作戦で日本軍はほぼ全滅したわけですけど、その時ミャンマーの方が親切にしてくださって助かった日本兵も少なくない。 日本人が好きですね。イギリス統治から日本が解放してくれたと。 勤勉で手先が器用で謙遜するという国民性も、日本人とよく似ています。

杉田 中国は最近、いろいろとありますが、大連は戦前30万人とも40万人とも言われる日本人がいたところでして、反日的なところは全くないですね。 もっとも、若い人の多くは日本に関しての興味もない。

藤田 日本だけではなく外国にも目の病気で困っている人が大勢いて、手術が上手になりたいと思っている医師がいるんです。 その人たちを支援することは満足感もありますし、日本人に対して良い感情を持ってもらえるんじゃないでしょうか。

杉田 たとえば、日本政府がお金を出す以上に、もっと違う良さがあると思いますね。 海外医療は日本が国際的に遅れないために、ものすごく大事です。 中国でいうと、中国はやはりアメリカを見ています。 日本がスポイルされてしまうかもしれない。 医療を通じてパイプをつくっておくと、日本も悪くないよと、将来、日本の財産になるような気がします。

藤田 僕は日本で生活しているわけですから、本分は自分のクリニックをしっかりやることだと思っています。 ただ、ちょっと目線を海外に向けて、アジアの医療を支援する体制が、どんどんできてくればいいですね。 そうすれば、アジアにおける日本の位置が、さらにステップ・アップするかもしれません。