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メディア掲載記事

夕刊フジ「この人あり」掲載記事紹介

2002年5月27日 更新

2002年5月21日夕刊フジ 「インタビュー特集・この人あり」より

2002年2月に創刊33周年を迎えた夕刊フジ。 その「インタビュー特集・この人あり」のコーナーに、当院院長、藤田善史の記事が5月21日に掲載されました。

「ものを見ること」。人間のからだの機能は、すべてが不可欠ではあるが、中でも「視覚」は、日常生活にとって重要だ。 レオナルド・ダ・ヴィンチが魚のウロコでコンタクトレンズの原型を作った、といわれるのが15世紀のこと。 より良い視覚を求めて、眼鏡・コンタクトレンズ・・・と、さまざまな装具が使われてきたが、いまや近視は手術で治せる時代となった。 最新の近視矯正と、失明に至ることの多かった白内障の手術に、日本でも早くから着手してきたのが、(医)藤田眼科《徳島県・徳島市》。 院長の藤田善史さんにお話を伺い、彼の眼科治療やミャンマーへの医療指導にかける熱き思いに迫った。 (文・取材:夕刊フジ・長谷川 真理子)

24ミリの宇宙「目」の探求者

神戸から車で、明石・鳴門の二つの大橋を渡り、約2時間の徳島市。 徳島県の幹線である、国道192号にほど近い至便な地に(医)藤田眼科の明るく、モダンな建物が目を引く。 3階建て、駐車場も広々としていて、周囲の木々も美しく、ホテルのようなたたずまいである。 足を踏み入れると、まさにホテルのロビーのような、天井が高くて広い待合室。 淡いパステルカラー使いの内装がやさしい。

夕方からの取材だったのだが、白衣を脱ぎ、ラフで洒落なボタンダウン・シャツ姿で、 にこやかに、医局に迎え入れてくれた藤田院長。 服装のせいだけでなく、物腰や、醸し出される雰囲気は、医者というより、むしろ文化人、というイメージだ。 徳島大学医学部で講師をつとめていただけあって、語り始めると、歯切れが良く、愉快な人である。 「眼科医を目指した理由?徳大医学部に入学して、まだ専門を決めてなかった頃、眼科学の三井教授の講義が、とても面白くてね。 『24ミリの宇宙』とか、テーマも興味深くて・・・。当時、眼科というと、マイナーな感じでしたけれど、魅かれましたね」

日本でもトップレベルのチーム医療を展開

「今日は11件の手術を済ませました。多い日だと15~16件やりますから・・・まぁ、今日は少ないほうです」 と、疲れた様子も見せず、さらりと語る。

昨年度、平成13年の手術件数は、白内障手術が2400件、近視矯正手術(レーシック)150件、という実績を持つ同院。 日本国内でもトップレベルを誇る。 「うちは、眼科医師が6名と、検査スタッフ・看護スタッフ合わせて40人のエキスパートによる 『チーム医療』でやっています。僕自身の専門は、白内障と近視矯正手術だけど、糖尿病の硝子体(しょうしたい) 手術とか、コンタクトレンズとか、それぞれの医師ごとに専門分野がありますからね。 互いに連携して、よりトータルな眼科医療をめざしてます」と、自負を覗かせる。 “レーシック”とは、日本では生体内レーザー角膜切開手術といい、最先端の近視・乱視矯正手術なのである。 1980年代から始まり、欧米では、すでに300万人以上の人が、これにより視力を回復しているという。

「エキシマレーザー、というレーザーを照射することによって、角膜の屈折異常を治療するんですが、 点眼麻酔をしますから、痛みは全くありません。片眼で7~8分、両眼で20分くらいで終わります。 入院の必要もないんですよ。職業や趣味のために、メガネやコンタクトレンズを装用できない人もいるし、 何より、患者さんに、より快適で、安全に、早く良くなってもらいたいですからね」と、情熱をたぎらせる。

実際に、手術室や、最新鋭の機器を見せていただき、ひたすら感嘆。 手術室や、リカバリー・ルームはクリーンで、ゆったりとした作りだ。 院内は、入院施設はないというのに、ゆとりあるスペース使い。 廊下や階段には、藤田さんの好みでチョイスした名画が、数多く飾られていて、 彼の趣味と、患者のリラクゼーションの、一石二鳥となっている。

近視矯正手術(レーシック)の手術室

白内障の手術室 最先端の機器とクリーンな室内

リカバリールーム

ミャンマーでの医療支援にも尽力

そんな彼には、もう一つのライフワークがある。 ミャンマーでの医療支援だ。 「先日も、5月のゴールデン・ウィークを利用して、おこなってきました。 全くのボランティアですが、これで8回目です。 あちらは人口4700万人、でも眼科医はたったの120人くらいしかいないんです。 白内障で失明する人も多い。だから現地の眼科医に白内障手術を指導しています。 14年間にわたり、軍事政権下にあるため、政府ODAも止まっています。 でも、それは政治的なことであり、僕は、ひとりの眼科医として、治療を受けることのできない患者さんを救いたい! という一心で、今までやってきました」



そんな思いを語って、今回のミャンマー行きに臨んだ彼だが、くしくも彼の在緬中に、 自宅軟禁を強いられていた民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんが軟禁を解かれた、というニュースが飛び込んできた。

すぐに同国の情勢が変わるわけではないにせよ、藤田さんや、NPO団体の“ミャンマー交流協会”の熱意で、軍事政権を衝き動かしたのでは・・・ と思えてならない。

これからも、日本で、ミャンマーで、さらに高度な眼科治療に取り組む、藤田さんの活躍に期待したい。

ミャンマー眼科医療活動の詳細はこちらから

(文・取材:夕刊フジ・長谷川 真理子)