2009年3月31日掲載
「平和記念塔パゴダ」の修復完成
「パゴダを守る会」、「徳島県仏教会」、「徳島県ビルマ会」が、
昨年6月より行ってきた眉山山頂に建つ「平和記念塔パゴダ」の募金活動で、
約2000万円の寄付金が集まりました。私は、ミャンマー(旧ビルマ)での眼科医療活動を行っている関係で、
この「平和記念塔パゴダ」のことを知り、その修復を願って「パゴダを守る会」を立ち上げました。
当院に設置された募金箱にも多くの方から募金が寄せられました。本当にありがとうございました。
これらの募金をもとに、パゴダの外壁および内装の修復、展示品の修理と整理が順調に行われ、2009年3月7日(土)から、
一般に公開されることになりました。
1958年(昭和33年)、第二次世界大戦時、徳島県からビルマに出征し帰還することのできた将兵は「徳島県ビルマ会」を結成し、
戦地で亡くなった戦友を偲ぶとともに恒久平和を願って、「平和記念塔パゴダ」を建てました。
その後、50年の歳月が過ぎ、建物は老朽化し、展示品も色褪せましたが、
今回、多くの県民の方々のご協力をいただき、パゴダを甦らせることができました。
開館は、毎日曜日、祝祭日の午前10時から午後4時までです。ぜひ、新しくなった「平和記念塔パゴダ」を、一度ご覧ください。
2008年9月14日掲載
募金は、2009年3月31日をもって終了いたしました。ご協力ありがとうございました。
平和記念塔パゴダの改修工事
昨年4月、眉山山頂にあるパゴダを見に行きました。桜の咲く眉山は、とても綺麗でしたが、平和記念塔パゴダは、積年の雨風に耐えきれず、ひびが入り、
色も褪せていました。内部は雨漏りがして、ビルマ(現ミャンマー)から持ち帰った第二次世界大戦中の内部資料も劣化、色落ちが激しく、修復が急がれる状況でした。
徳島市のパゴダは、徳島県ビルマ会が、昭和33年に第2次世界大戦時のビルマ戦線で死亡した6216名の県出身将兵の冥福を祈るため、
ビルマのシュエダゴン・パゴダを模して、建塔したものです。恒久平和を願う徳島市のシンボルです。建てられて50年が経過し、
11月2日(日)にはパゴダ建塔50周年記念法要も行われます。
今年4月、傷んだ外壁および内部の修繕、内部資料の整理、修復を行うため、「平和記念塔パゴダを守る会」が結成されました。
現在、管理を行っている徳島県仏教会と、徳島県ビルマ会と一緒に1500万円の目標額で募金を行っています。
戦争の悲惨さ、平和の尊さを、若い世代に伝えていく平和記念塔パゴダの修復にご賛同をいただける方は、下記までご連絡ください。
連絡先:徳島県仏教会 パゴダ改修工事勧募事務局
徳島市下助任町2-31-2 弘誓寺内(TEL.088-652-0691)
募金は、2009年3月31日をもって終了いたしました。ご協力ありがとうございました。
徳島市の平和記念塔パゴダ
ドーム型鉄筋コンクリート造、3階建、高さ25m
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内部
1階展示室:283.8m2
ビルマからの遺品:鉄兜、サーベル、双眼鏡、通信紙、遺言書、原爆写真のパネル(広島市平和文化センター提供)
徳島市:戦前、戦後の写真など
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2階展示室: 66.0m2
日本海軍海図:艦船の沈没した海域をパノラマ形式で展示
神風特攻隊隊員辞世の句
徳島連隊(143連隊)の軍旗の一部など
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3階奉安殿: 33.0m2
ビルマ様式の祭壇に仏舎利と戦没英霊を奉安
3階 祭壇
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平和記念塔パゴダの歴史
1.徳島県出身将兵とビルマ戦線
太平洋戦争当時、ビルマでは、イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐって、日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍と、
イギリス軍・アメリカ軍・中国国民党軍との戦いが、1941年の開戦直後から1945年の終戦直前まで続きました。
この戦いで、徳島県出身者の将兵が6216名、戦死しています。
2.パゴダの建設計画
1953年、亡き戦友を弔うために徳島県ビルマ会が結成。翌年、戦没者の冥福を祈り、恒久平和を願うシンボルとしてパゴダの建設計画が発表されました。
当時の徳島市市長から、「眉山の一番高い頂上にロープウェイを建設するので、そこにパゴダを建設して欲しい」という要望があったため、
眉山山頂にパゴダが建設されることになりました。パゴダの形は、当時のビルマ、ラングーン市(現ミャンマー、ヤンゴン市)にあるシュエダゴンバゴダを模したものなりました。
パゴダの由来
パゴダは仏塔という意味で、紀元前3世紀インドのアショーカ王によって建立されたサーンチーの大塔がその起源であるといわれています。
日本では、五重の塔や多宝塔、ビルマでは、円錐形になりました。
3.ビルマ政府から贈られた仏舎利
徳島県ビルマ会は、パゴダの中に、仏舎利を奉祀しようと考えていました。
1955年、徳島県選出衆議院議員、三木武夫氏が、鳩山首相の特使としてビルマを訪問することになりました。
そこで、ビルマ会は、三木武夫氏に、仏舎利をビルマからいただけるか聞いていただくことにしました。
三木氏が、ビルマ国ウー・ヌー首相に、そのことをお話しすると、首相は、こころよく、仏舎利をビルマ会に贈ることを約束してくれました。
1958年5月2日、徳島県仏教会会長、島村住職と、徳島県ビルマ会会長、本庄氏はビルマに赴き、ウー・ヌー首相より首相官邸、持仏堂で、仏舎利を受け取り、
徳島に迎えることになりました。
平和記念塔パゴダ起工式
ウーヌー首相より、仏舎利を受け取る島村住職と本庄氏
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1958年5月17日、関西航路にて徳島着
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ビルマ政府より仏舎利奉遷用として恵贈された舎利器
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4.「平和記念塔パゴダ」開塔落慶法要
1958年5月18日、参会者の数が多いとパゴダでは無理があるということで、徳島市新町小学校の校庭にて、好天の中、
4000名の参会者を得て開塔落慶法要が行われました、練り供養は、延々長蛇の列で、徳島の繁華街を行進する姿は、圧巻でした。
徳島市始まって以来の平和大行進でした。1958年5月31日、仏舎利は、パゴダ三階の奉安殿に密封されました。
| 午後: |
1:00−2:20 |
練り供養、徳島駅−新町橋−東新町−紺屋町−新町小学校式場 |
| 午後: |
2:30−4:00 |
開塔式 |
| 午後: |
4:30−5:00 |
パゴダにて平和記念塔開扉 |
名誉総裁の池田隆政氏と厚子夫人
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新町橋を渡っての練供養
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パゴダに奉安される仏舎利
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50年を迎え、修復を待つ平和記念塔パゴダ
外壁のひび割れ、錆び様の着色
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外壁の剥落
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内部、中央朱棟周囲の水漏れ
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内部、床、壁の水漏れ、剥落
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外壁の修復
外観修復中 2008/7/6 撮影
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外壁を修復した平和記念塔パゴダ
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